幸せの形を限定しない。◯◯になれたら幸せなのではない。
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七夕に書いた短冊。わたしは「フィンランドに家族で行っています」と書きました。
ちょうど夫がツールドフランス(自転車のロードレース)を見ていて、海外に家族で行くなんて考えもしなかったけど、なんとなく行ってみたいなと思ったから。
で、そのときに浮かんできた光景が、行きの飛行機の中で、子どもたちがわちゃわちゃしてる姿。「もぅーちゃんとご飯食べてよ!」と言ってるわたしとか、「まだ着かないの〜」とかつまんなそうに言ってる長女。その横でぼーと本を読んでる夫。
幸せな姿って?
その光景を想像したとき、なんかすごい不思議な気がしたんですよね。だって「うゎーい、やっと行けたー」って思った旅行の姿が、なんかバタバタしてるっていうか、もっとゆったりのんびりしてるもんじゃないの?って。
だけど、わたしが想像した「願いが叶った幸せな姿」は、なんかわちゃわちゃしてる家族の姿だったんです。
今の状況で幸せなんじゃない?
ということは、今のこの現実。
子どもにイライラと文句を言っちゃったり、朝から夫に愚痴ってみたり、それでも子どもが可愛くて夕方にはご機嫌になっちゃったり(単純)、このわたしの、ごく普通の、当たり前の現実が、幸せなのではないだろうか、ということに、気づいてしまったんです。
でもね、いやいや、そんなはずはないって何回も疑ってみたんですけど、でもそうだよ〜っていうメッセージ?みたいに、SNSでそういう投稿が目に入ってくるんです笑。
◯◯になれたら幸せなのではない。
わたしは「いつもニコニコ笑って、常に穏やかで、子どもにも常に優しくて、夫にも優しくて」っていうのを幸せだと思っていたんです。
つまり、〇〇になれたら、〇〇が手に入ったら、幸せになれると思っていました。
でもこれだと、そうでないときは幸せじゃないし、いつまでも高い高い理想を追い求めて、苦しくなっていっちゃうのかも。
今、まだわたしの中ではぐるぐるしていますが、今のわたしは、もしかして、もう十分に幸せなんじゃないだろうか?なんかそんなことを感じています。
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