「どっちでもいい」はすごく幸せな基準。
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昨日の朝、久しぶりに炊きたてご飯を食べた。
最近は、夜中の授乳もあり、朝起きられないことが多くなっていたので、寝坊しても大丈夫なように、夜にご飯を炊いて、ジャーで保温しておき、それを翌朝食べることが多かった。
長女も「今日はご飯が美味しいねえ」と言いながら、朝から2杯もおかわりをし、わたしも久しぶりの、つやつやご飯に嬉しくなってしまった。
保温ジャーには本当にお世話になっています。ご飯はカピカピにならず、甘酒も作れ、わが家にはなくてはならない、家電です。
ちょっと前のわたしは、毎朝お弁当を作ることに必死で、朝の炊きたてご飯も絶対で、それを作る義務感にかられていた。「こうでないといけない」「これじゃないとダメ」というのは、どこか苦しくて、達成できても、安堵感の方が強く、あんまり幸せじゃなかった気がする。
今は、朝にご飯があればOKとなり、以前に比べて理想が低くなった。寝坊しても、保温ジャーにご飯があって有り難い、炊きたてご飯が食べれたらなお嬉しい、というどっちでも幸せという状態になっている。
この「どっちでもいい」、理想が低い状態というのは、なんだか怠けていて、こだわりがないようで、ずっと避けてきたけれど、むしろこっちの方が日々が幸せなのかもしれないと、最近思うのでした。
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