暮らしラボゆくり

3人姉妹の母。暮らしを簡単、楽しく、Happyにするモノ、コト、ヒントを書いています。暮らすことは実験と同じ。こうしたらどうかな?を試してよりよい暮らしを目指しています。

「パンを手作り」やめました。

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こんにちは。パンが好きで好きで、買うだけでは飽き足らず、パン屋でもアルバイトをし、(残念ながら出産を機に退職)自家製酵母まで育て、パン作りをしていたわたしですが、先日パンを手作りすることを手放しました。今日はそのことについて書きたいと思います。

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 パンが好き

パン好きに目覚めたのは大学生の頃。仙台のバーニャのパン (Pain bagnat)に通い、フランスで修行してきたというオーナーの本格的なバゲット、クロックムッシュ、クロワッサンダマンド、カンパーニュなど、今まで食べてきたふわふわで甘いだけのパンとは違う魅力を沢山教えてもらいました。また卒業旅行でフランスにも行き、フランスのパンのレベルに圧倒され、将来はフランスでパンだけを食べて生きていきたいと、その頃は本気で思っていました。その後、就職を経て、結婚。仕事も辞め、パートを始めることに。運良くパン屋で製造のアルバイトに巡り合うことができました。ちょうどその頃、家でも天然酵母を起こしてパン作りをスタート。林弘子さんの本に出会い、天然酵母の魅力にはまっていきました。

 

美味しいパンは高い 

結婚してすぐは夫と二人暮らし。大学生の頃とと違って金銭的にも少し余裕があった(と思っていた)のでいろいろなパンをネットで取り寄せていました。東北、長野、東京などなど。天然酵母を使って素材を厳選したオーナーこだわりのパンはどれも美味しく、それぞれに魅力がありました。でもはっきり言って高かった。アルバイトをしていたので、原価はだいたい知っていました。だからこそ、自分でつくった方が断然お安いことも分かります。(フランスパンなんて材料は小麦粉と塩だけ。あのお値段は技術料です。)その上、家族の反応は、高いパンでもわたしが作ったパンでもそんなに変りません。自信をつけたわたしは、買うよりも家族好みのパンを作った方がいいと感じるようになりました。

パンを手作りするのは楽しい

リンゴや、柑橘類、小麦などから酵母を起こしたり、小麦粉を変えてみたり、実験のようなパン作りはとても楽しいものでした。最終的に落ち着いたのは小麦粉と全粒粉、ライ麦粉を配分し、塩とほんの少しの砂糖、リンゴ酵母を継いでついだ元種でつくるシンプルなパンでした。こちらの本はシンプルなパンが多くとても参考になりました。

 

長女を出産してからはマクロビオティックの考え方を取り入れていたので、小麦粉を毎日とることは避けたい気持ちから、日曜日が週に一度のお楽しみ「パンの日」となっていました。

 

時間を捻出するのが難しい。

ただ、2人目の娘が生まれ、たった15分ですが捏ね時間をとることが難しくなってきました。捏ねている間によばれても手がベトベトで対応できない、夜は長女と次女を寝付かせるため時間がない、などなど、なんとなくタイミング的に難しくなり、無理をして時間をやりくりすることにも疲れてきました。その上どうも次女が小麦粉に対してあまり反応がよくないことに気づきます。食べてすぐどう、とかではないのですが、肌の調子があまりよくない。2歳児にひとりだけパンを我慢させるのは難しく、また自家製酵母を手入れするのも忘れてしまったり、だんだんパンへの気持ちが離れていきました。

 

気持ちが離れていることに気づかない

実は気持ちがパン作りから離れていたことに気づくのに時間がかかりました。あまりに長い時間やってきたことだったので、パンは買うものではなく作ることが当たり前、日曜日の朝はパン、と自分の中で凝り固まっていました。keiさんから捏ねずにできる簡単なパンのレシピを教えていただき、作ってもみました。捏ねる時間はないし上手にできたので、これなら行けるかもと思いましたが、やっぱり気持ちを取り戻すのは難しかったです。(そのときは離れた気持ちに気づいていませんでした。)

keiさんの捏ねないパンはこちら。捏ねなくても本当にパンになります!

砂糖不使用・コネ不要、パン焼き機なしでもOKな魔法のパン - ここちよく流れる

 

パン作りを断捨離

ふと、自家製酵母を断捨離してみようと思いつき、それに伴ってパン作りもやめることを思いつきました。最初は自分でも驚きましたが、やめてみれば全粒粉、ライ麦、強力粉を手放せる、こだわりの小麦粉をわざわざ買いに行かなくてもよい、自家製酵母を管理する手間もいらない、前日に時間を捻出しなくてもいい、とやめてすっきりすることばかりが思い浮かびました。自家製のこだわりパンを作るためにそれだけのものが付随していたことも知りました。

パン作りをやめて失ったもの

自分の中に丁寧な暮らし=パンを手作りという図式がわたしの中にありました。また、娘のスポーツクラブでピタパンサンドをお弁当に持たせたときに周りのお母さんの話題になっていたと夫から聞いたときも内心嬉しかったので、そういった外部に対するパンが作れるお母さんという肩書き?は失ったような気がします。でも思いつくのはそれくらい。得たものの方がずっと大きいです。

パン作りの代わりになったもの

簡単に作れる甘さ控えめの米粉のケーキをパンの代わりにすることにしました。米粉と卵、豆乳さえあればよく、比較的簡単に手に入るものです。リンゴやバナナ、ジャムを入れたりとアレンジがきき、準備も当日でよいのでとても楽になりました。また市販のパンも取り入れることに。米粉ケーキの補助なので量もそんなにたくさんは必要なく、家計的にもそんなに負担ではありません。気になるパンを試せるのも今のわたしには気軽で、久しぶりにウキウキすることでした。

こだわりという言葉

なにかにこだわるということをずっといいことだと思ってきたし、色々なことにこだわりのない夫に対してつまらないなぁと感じることも正直ありました。でも少しずつ自分の中のこだわりをなくしていくことで自由になれるというか、こだわりがない方がそのときそのときを楽しめるのではないかと感じるようになってきました。これでないとダメはときに自分を縛り、それ以外では幸せになれないと感じてしまう危険性を持っています。とくにわたしの頭は固く頑固で、自分で決めてしまったことを意味もなく守りたいと思ってしまう。今回の件はそんなことを気づかされました。パンを手作りすることを今は手放したけれど、また興味が湧けば始めればいいと思うし、そのときそのときに自分が楽でいられる方法を探していきたいと思います。