暮らしラボゆくり

3人姉妹の母。暮らしを簡単、楽しく、Happyにするモノ、コト、ヒントを書いています。暮らすことは実験と同じ。こうしたらどうかな?を試してよりよい暮らしを目指しています。

モノを手放すときのたったひとつの基準

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先日、このような記事を書きました。

▶︎【断捨離】憧れが判断を鈍らせる。わたしがミシンを手放したわけ

ミシンは結婚前に、わたしが欲しいと言って祖母からもらったもの。そのときは、そこそこ本気で足踏みミシンで子どもの服を作りたいと思っていました。でもそれは、10年近く前の話。

モノの価値はどこにあるのか。何が基準なのかを今日は考えてみました。

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手縫いで作った子ども服

その思いは今のもの?

ミシンは手に入れたものの、結婚、出産、その後すぐに中国(無錫)に転勤になり(当然ミシンは置いて行きました)、月日は流れ、子どもも2人になり、ミシンで服を作るという情熱は冷める一方でした。考えてみると、足踏みミシンで服を作りたいという熱い思いは10年近く前のもの。
 
ミシンを見ると、その10年前の熱い思いを思い出すけれど、実はそれは今の気持ちではない。今は、ミシンにかける時間はない。大事なのは今の自分にとっての価値。そのことに気づくのに随分と時間がかかりました。

誰にとってのいいものなのか。

この足踏みミシン。車輪のゴムが切れていて使えずにいたのを、近所の裁縫好きなおばさまに直してもらい、復活したという経緯があります。そのことも、わたしに手放す判断を鈍らせていました。

直してくださったそのとき、その方が「いいミシンね、大事にしなさいよ。」と言ってくださった言葉。この言葉に、わたしはずっと縛られていたのです。

誰にとってのいいミシンか。そう、世間的に見ていいミシンであり、おばさまにとっていいミシン。わたしにとっていいミシンというわけではないのです。

「今」の「自分」を大事にしたい

このミシンは、10年前の自分、今のおばさまには価値があったけれど、「今のわたし」には価値がなくなってしまった。残念だけど、そういうことなのだと思います。

正直、写真に撮ってみたらいいなあと思うし、素敵だなあと思うけれど、わたしにとってミシンは眺めるものではありません。出来れば道具として使いこなしたい。だけど今のわたしには無理なので、手放すことにしたのです。

今の思いを大事にしたい記事は以前にも書いていました。

▶︎変わっていくことは素敵なこと。変化を楽しむ自分でありたい。

▶︎安いサンドイッチで大満足。今の感覚を信じることで得られるもの。

まとめ

・昔の思いと今の思いが混ざっていないか。今を基準にする。

・それは、世間的に価値のあるものなのか、自分にとって価値のあるものなのか。

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