「負けた気がする」こういうゲームはもう抜けようと思う
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「本当の本当の願いは何?」
最近わたしがモヤモヤしたときに、自分に聞いてみる言葉です。
相手がいいと思うものと、自分がいいと思うものが違っていて、どちらも譲れないっていう状況、ありませんか?
実は今まさに、そんな状況に直面していて、そこでの気づきを今日はシェアします。
本当に願いたいことは何?
相手がいいと思うものと、わたしがいいと思うものが違う。相手によさを分かってもらいたいけど、分かってはくれそうにない。
こういう平行線の悩みのとき、相手のあそこが悪いだの、なんでそんな風にしか思えないだの、いろいろ文句をつけてみたりして、結局は止まっちゃう。
でも、今回は、ちょっと違っていて、散々上のことを書き散らかした(!笑)あとに、もし、相手がそれを分かってくれたとして、その先にわたしが本当に得たいものって、なんだろう?って考えたとき、「ただただ、みんなと楽しく、気持ちよくやりたい」って出てきたんです。
そうしたら「相手によさを分かってもらう」ということ自体は、まあ分かってもらえたら嬉しいけど、叶わなくてもいい。
つまり、問題としていたところの、執着がある意味とれてしまったような感じになって。意外なくらい「相手に分かってもらう」とうことがどっちでもよくなってしまった。
願いの先を見てみたら、今までルートにこだわりすぎていたのかもしれないなって。
もちろん、どうしたらいいかは全然分かんないんだけど(笑)、わたしは「たただた、みんなと楽しく気持ちよくやりたい」っていう自分の願いが見えてなんか安心したというか。
そして、それなら叶う気がするなってなんか思えた。不思議ですけど。
負けた気がするっていう気持ち
でも、もし「みんなと楽しく気持ちよくやりたい」という願いが叶う過程で、「相手がいいと思うものを認める」ことになったとしたら、どう?って聞いてみたら、「負けた気がする」って出てきました。
願いが叶うのに「負けた気がする」って思ってるんだーってちょっとびっくりして。
つまり、わたしがいいと思うものを認めさせたら「勝ち」で相手のいいと思うものを認めたら「負け」って思ってるってことだなと。
これ、楽しいんだろうか?わたしが得たいものって「勝つ」ことなんだろうか??
勝ち負けの世界を抜ける
と改めて問うたときに、 違う。欲しいものは「勝つ」ことではない。
本当に欲しいものは「ただただ、みんなと楽しく気持ちよくしたい」ってこと。じゃあ、勝っても負けてもどっちでもいい。
好みとして◯◯が好き、はあるけれど、それじゃなくてもよくなってしまったというか。
「勝ち負けの世界から抜ける」ってたぶんこういうことなのかなって。
これからどうなるんだろう
この件についての結論は今現在まだ出ていません。そして、どうしたら本当の願いが叶うのかも全然!分かりません。
でも、なんかね、「どうなっても幸せ」「どうなっても素晴らしい人生」というベースがあると、あるからこそ、願いが叶っていくのかなという気もしています。
モヤモヤしたとき、「本当の願いはなに?」って聞いてみてくださいね。