「忘れられない」のではない。本当は「忘れたくない」のだ。
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今、わたしは一軒家に住んでいます。最近、家のこと、庭のこと、もうちょっとどうにかしたいな〜と思って夫と話を進めているところなのですが、その話の中で、今現在抱えているこの家の問題点を上げてみたんですね。
そうしたら、この家を建てている工事中に「思ってた感じと違う」と気付きながら、施工業者さんとの関係が悪くなることを恐れて(やり直しさせられるのって、ものすごーくテンション下がるの知ってたので)言えなかった部分がどうしても出てきてしまうんです。
わたしは、家が出来てからも、その箇所(工事中に言えなかったところ)を見る度に実は「はぁ〜↓↓」ってなって、「もっと◯◯だったらよかったのに!」っていっつも、いっつも思ってたんです。
トイレの洗面台は気に入っている笑
それで、今回改めて不満点としてその部分を上げてみて、なんであの時我慢してしまったんだろう〜!!ってめっちゃ悲しくなって、残念な気持ちになって、泣けてきて、どうにかしたい!!って思ったんです。
でもこの部分をやり直そうと思うと外壁からやり直し。
はっきりいってあまりポジティブな工事とは言えず、ただただ、当時のわたしのやり場のない気持ちを納めたいだけのもので、まったく前向きなものではないことは気づいていました。
夫にもマイナスをゼロに戻すのは面白くないと言われ、激しく同意。わたし自身、それが本当の願いではないことは分かっていました。
しかし、このやり場のない気持ちはどこへやったらいいのだろうと、モヤモヤしたまま。
で、いつもの通りノートに書いてみたんです。
そうしたら、
わたしは、「忘れたい、忘れたい」と思いながら、実は忘れたいなんてちっとも思っていなかったこと。
努力して、わざわざ自分から思い出して、「はぁ〜」って落ち込んで、忘れてやるもんか!!って思ってるってこと。そうすることが仕返しのことのように思っていたこと
に気づいたのです。
もし忘れてしまったら、工事を進めた施工会社を責められなくなる、言えなかった自分を責められなくなる、「やり直してって言おう」って言ってくれなかった夫を責められなくなる。
責めていたいから、忘れたくなかった。忘れるわけにはいかなかった。
そっかー。
結局、自分で忘れないような努力をしてたんだなぁって。
なんかそのことに気づいたら、本当にこれからもこの努力をし続けたいのかな?って冷静に問うことができて。
そしたら、こんなとこに大事なわたしのエネルギー使いたくないなって思って、この努力をやめることにしました。
もっと楽しいことにエネルギー使いたい!!
本当の願いはこっちだと気づいていたし、ちゃんとこっちに気持ちを向けることができそうで、とても嬉しいです♡
このことに気づいたのは、さきこさんのこの本の最後の方を読んだから。誰かを責めていたい気持ちを持っている人にはぜひ読んで欲しいです。