「もったいない」が「もったいない」を生む。その連鎖を断ち切るためにできること。
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「費やした時間を無駄にしたくない」 そんな気持ちから、さらなる無駄を生んでしまったことってありませんか?
わたしはよくありましたし、今でも気づくとその罠にはまってしまいます。今日はそんな「もったいない」が「もったいない」を生む気持ちについて書きました。
図書館での出来事
先日、久しぶりに子どもを夫に預け、1人で図書館に行く時間を持てました。せっかくだからと、普段はゆっくり見ることのできないジャンル、雑誌コーナーもじっくり見て回りました。
しかし、残念ながらピンとくる本はなく(普段は事前予約して取りにいくのですが、この日は用意できている本はなし)、でも、なんだかもったいないからと、適当に気になる本を一冊借りようとして手に取りました。
自分の本当の気持ちに気づくこと
しかし、たいして興味もない本を借りる時間(その日は休みで行列)、帰ってから「読まなくちゃ」と義務感から受けるストレス、また返しに来なくてはいけない手間を考えた時、たいして読みたくない本をわざわざ借りる方がもったいないと気づき、もう一度本棚に戻しました。
わたしは、せっかく1人での時間を持てた成果としての本が単に欲しかった、そのことに気がついたのです。
「もったいない」は「もったいない」を生む
結婚前の若い頃はストレス発散に買い物に出て、目に付いた気になる本を、大量に買って帰ることがよくありました。多分、わざわざ電車乗って滋賀から京都に出て(その頃は滋賀在住。買い物といえば京都に出掛けていました)、その費やした時間を無駄にしたくなかったから。
ストレスからの買い物は無駄な時間を生み、そこでの買い物は無駄なものになり、買って帰った、たいして欲しくなかったものは、さらなるストレスを生む。
どこかで、本当の自分の気持ちに気づき、連鎖を止めなければ、無駄が無駄を生んでしまうという構造にはまってしまいます。
ものを減らす中で敏感になる
今回図書館で、たいして借りたくもない本を手に取った時の違和感。買い物をしていても、ふっとそんな瞬間に気づくことがあります。
この感覚は、ものを減らしていく中で、自分にとって何が必要なのかと問い続けてきた、一つの成果なのかもしれないと思います。
本当は、ストレスに早めに気づき、それを買い物に転換させないことが一番。だけど、そうなりそうな時も、ふと訪れる違和感に気づくことで、連鎖を止めることができる。丁寧に生きていくことって、こういうことの積み重ねなのかもしれません。
まとめ
今回の件に限らず、何かを無駄にしたくない気持ちから、さらなる無駄を生んでしまう、わたしの場合、そういうことが、実はよくあるような気がします。
どうしてそういうことになってしまうのか、次回はそのことについて書いてみようと思います。
時間を無駄にしたくないわたしが参考にしているのはこちらのトラコミュ(ブログ村)!