贈り物は選んで満足、あげて満足。それ以上は見届けない。
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わが家は、お年玉がない代わりに、甥っ子、姪っ子たちとプレゼントを贈り合うことになっている。
住む場所も年齢もバラバラ、年に一度も会わない関係の彼ら彼女らに、何を贈ろうかと、毎年正直迷う。
ギフト券や、図書券などにしてしまえば、本人の好きなものが買えて一番合理的なことはよく分かっているのに、それをすることができない。
もらう立場から考えると、ギフト券や図書券の方が、好きなものが買えていいなとは思うけれど、選んでくれたプレゼントの後ろに、その人らしさが見えるのが、なんだか楽しくて、毎年何が届くのか楽しみにしている。
結局、今年は手ぬぐいをプレゼントにすることにした。柄を選ぶのは楽しくて(なにせ15人分)、長女とあーでもない、こーでもない、わたしも欲しいなあ、などと言いながら、柄を決めた。
使ってくれたらいいなとは、思うけれど、実はプレゼントを決めた時点で、わたしの気持ちは満足してしまっていて、その後のことは、別にどうでもよかったりする。
プレゼントを贈るのは、相手のためを思っての行為だけれど、実は自分を満足させる行為なのかもしれない。
そう考えると、プレゼントはもらった時点で、もうそのほとんどを受け取っているわけで、そのあと、そのものが実は好みではなくて、誰かに譲るとか、自分の元から離れていくのはありなのかもしれない。