暮らしラボゆくり

3人姉妹の母。暮らしを簡単、楽しく、Happyにするモノ、コト、ヒントを書いています。暮らすことは実験と同じ。こうしたらどうかな?を試してよりよい暮らしを目指しています。

他人の目を気にしすぎてしまうあなたへ。

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昨日久しぶりにモヤモヤすることがありました。

長女の試合の応援に行ったんですが、前日から「なんとなく行きたくないな〜」と思っていて、夫にも「ちょっと応援したら帰ってもいいかなあ」と聞いていました。夫は「別にいいんじゃね」と言ってくれ、別に肯定も否定もされていませんでした。

なのに、当日は「やっぱり行った方がいいよね。」と乗り気でないのに行った上、何試合も試合を見届け、帰ってきてからぐったり、正直何もする気が起きませんでした。

 

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朝からパンを焼くのは全く苦ではない。

全部自分で決めている

「やっぱり早く帰ればよかった(涙)」と後悔しながらも、「全部自分で決めたんだよな」というなんとも言えない気持ちに。

早く帰ることもできたし、お弁当だけ置いて帰ることもできたし、なんなら次女を夫に預けて自分だけ先に帰ることだって、できなくはなかった。

でも、それをしないと決めたのはわたしです。

誰も何も言ってないのに、勝手に「試合は全部見なきゃいけない」と思い込んで、見続けて、疲れて、ぐったりしてる。(なんなら家族に当たってみたり。いい迷惑だよね。)

冷静に引きで見てみると、本当1人コントかい!という感じ。

自分の中の当たり前

では、なんで、そういうことになってしまうのか。

それは、

 

時間がある母は子どもの試合に行くのが当たり前。

普通のお母さんは子どもの試合に行くのが当たり前。

と思っているから。

「時間があるのに、子どもの試合に行かない母親はダメ」と自分で決めているから、それに従った行動(=時間があるから、子どもの試合に行く)をしてしまう。

わたしは、ずっとこれを「他人の目を気にしてる」と思っていました。

・誰かに批判されるかもしれない

・母親として失格といわれるかもしれない

他人の目を気にするから、自分の気持ちを大事にできないんだ。他人の目を気にしないわたしになれば、自分の思ったことを素直にできるんだと。

でもこれ、ちょっと違ったんです。

自分の中に

「◯◯は当たり前だ。」

「◯◯なら◯◯するのが当然だ。」

という当たり前があるから、その当たり前の行動しかとれない。

その当たり前を外れたら、人間としてダメだとか、他人に批判されるとか思ってしまう。

 

 

 

 

最近つくづく、目の前の現実は自分で決めた結果だと思うことが増えています。「

 

で、大事にしなきゃいけないのは、ふっと湧いた自分の気持ち。

「なんとなく行きたくないな」今回は、これを大事にしなきゃいけなかったんだな〜って。これって全然理由がなくて、言い訳できなくて(笑)辛いんだけど、これからは出来る限り叶えてあげたいなと思いました。

今回は自分の気持ちより、普通のお母さんであることとか、人の目とか、そういうものを上に置いてた気がします。

 

笑っちゃったのは、去年はどうだったのかな?って思ったら、同じことしてる!!!!

▶︎【引き寄せ】心が乗らないことは、やっぱり、やっぱりしちゃいけないんだ。

全然成長してないじゃん!!!ってめっちゃ凹みましたが、あまりに同じ過ぎて長女と笑っちゃいました。

ちなみに長女に「試合見に行かなくていいかなあ」って聞いたら、「へ?!来たくないなら来なきゃいいじゃん。」とあっさり。「でも、お弁当は作って欲しいな。」って。

なーんだ、ですよ。なーんだ。

子どもの試合に行かなきゃ行けないと決めてたのは、紛れもない自分。

誰も「行け」とも「来て」とも言ってない。

 

 

わたしは、朝5時前に起きてお弁当を作るのは、全然嫌じゃなくって。需要と供給が一致していました。そろそろ普通のお母さんを卒業したいです。

 

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