暮らしラボゆくり

3人姉妹の母。暮らしを簡単、楽しく、Happyにするモノ、コト、ヒントを書いています。暮らすことは実験と同じ。こうしたらどうかな?を試してよりよい暮らしを目指しています。

為末大はミニマリスト。「諦める力」を読んで思ったこと。

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為末大さんの「諦める力」を読みました。ぱっと見て、目次だけでもかなり面白そう。中身の方は、久しぶりに本を読みながら興奮。終わってみたら付箋がいっぱいでした。今日はその中から、特に気になったところを書きたいと思います。

「諦める」はミニマリスト的考え方

為末大さんは元400メートルハードルの陸上競技選手。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者です。今は現役を引退しスポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っています。

何でもかんでも手当たりしだいにてにいれることで、幸福が得られるわけではない。

むしろ、ある段階がきたら「もうこれはいらない」と手放していくことで、幸福が近づいてくるのではないだろうか。(中略)

仕事も諦めない、家庭も諦めない。自分らしさも諦めない。なぜなら幸せになりたいから。でもこうしたスタンスがかえって幸せを遠ざける原因に見えてしまう。むしろ、何か一つだけ諦めないことをしっかりと決めて、残りのことはどっちでもいいやと割り切った方が、幸福感が達成できそうな気がする。

あれも、これも手に入れたいという発想の行き着く先は、つねに「できていない」「足りていない」という不満になってしまう。

わたしは丁寧な暮らし、いいお母さんにに憧れて、あれもこれもと思ってやってきました。子どもの服も自分の服も手作りで、ご飯もきちんと用意したい。素敵な道具を手入れしながら使いたい。だけど時間も能力も足りなくて、あれもできない、これもできないが積み重なる。

なんでこんなに出来ないんだろう。自分の努力が足りないんだろうか、夫が協力してくれないからじゃないだろうか。結果的に不満は募るばかりでした。

為末さんは考え方がミニマリスト。諦めることで、手に入るものがある。競技生活を送る中で、100メートル走を諦めて400メートルハードルに転向したことで、メダルを手に入れました。欲しいものを明確にして、ほかのことは諦める。

わたしは今、いろんなことを断捨離し、やることを少なくしています。手作りの服は、わたしの能力では難しい。パンも手作りもとりあえずやめました。だけどご飯だけはきちんと作ろう。そんな感じでやることを少なくしていくと、自分が大切にしたいことが見えてくる。大切にしたいものが大切にできたらそれだけで、嬉しい。そういう循環が出来ていくといいんだろうな。そんな風に思いながら今頑張っています。

選択肢はたくさん持っておきたかった

人生は可能性を減らしていく過程でもある。年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞り込まれていく。可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。 

わたしは、高校2年生の進路を決める時、正直どうしたいのか分かりませんでした。心理学も学んでみたいし、考古学にも興味がある。精神科医も気になるし、建築も好きといった具合。文系コースにしてしまえば、医者と建築家はなくなります。だけど国立理系コースにしておけば、センター試験もあるし、どの教科も捨てることができない。だから国立理系コースを選んでおきました。

最終的には建築学科に進むわけですが、人生とは選択肢を狭めていくことなのだと、そのときに学びました。そして大学に進めばもっと建築家に向いていそうな友人がたくさんいる。それを見てまた建築家になることは諦めます。

「諦める」言葉の語源は「明らめる」だという。

あの時に諦めたのは、自分の能力を明らめたことだったと思います。そして、結婚を選んで子どもを産めばまだできることは減ってくる。もう1人子どもが増えればまた、出来ることはさらに限られてきます。

選択肢がたくさんあった高校時代に比べたら、今はなんとやれることが限られている状態だろうと思います。だけど、不幸かといわれればそんなことはない。迷っていた頃に比べたら、やるべきことはずっとシンプルになり迷いは減っているように思います。

「飽きた」という理由でやめてもいい

あるとき、転職した人に理由を聞いたら、こんな答えが返ってきた。

「飽きたから」

「それだけ?」

「はい、それだけ」

(中略)

 僕が現役を引退したときの思いを率直に言えば「気がすんだ」である。多くの人にいろいろ聞かれるので、それなりに格好がつく理由も語ってはきた。だが、本質的に持っていた思いは「気がすんだ」という一言につきる。 

 先日、パン作りを断捨離したことを記事にしました。

「パンを手作りすること」を断捨離。モノの断捨離よりコトの断捨離で身軽になる。

時間がない、小麦粉が次女に合わないなど、色々理由はありました。だけどこの本を読んでみて「わたしはパン作りに飽きていた」ということに改めて気づきました。「飽きたので、やめました」と書くことに、自分自身がそう思うことに、抵抗があって、色々理由を書いていたのでした。

 「飽きる」ということを、とても悪いことのように捉えがちですが、「飽きた」ことに執着している時間の方がもったいない。これから自分の中で「飽きたこと、気が済んだこと」は早めに手放そうと思いました。

最後に

実は他にも気になった箇所はたくさんあります。ピックアップだけでもしておきたいので、引用だけ。気になった方はぜひ手に取ってみてください。

・どうにかなることをどうにかする。

・結果的に「ああ、これは自分らしい選択だったな」と思うことはあっても、あらかじめ「これを選ぶのは自分らしい」ということは分からないことの方が多いものだと思う。

・自分のことを正確に認識し、その自分が通用する世界をきちんと探す。

・一意専心よりもオプションを持つこと。

・環境の力をてこにするために「なりたい自分」になれる場所をその都度選んできた。